9月28日の夜、ensō で「Seed Table #1」を開催しました。あたためている自分のプロジェクトを人前で話し、聞いた人が前向きな言葉を返して次の一歩を後押しする会です。
雨のなか足を運んでくださった皆さん、ありがとうございました。
形になっていない計画を人に話すのは、けっこう勇気がいります。
理解してもらえないかもしれないし、そもそも興味を持ってもらえないかもしれません。
進行を務めたコミュニティマネージャーのぬまっちも、冒頭のあいさつでその不安に触れました。ふたりの「種」をこのテーブルで囲んであたためたいという思いから名付けたと、会の名前の由来の説明を続けます。
聞き手の皆さんの手元には付箋とペンを配り、話を聞きながら浮かんだ言葉を書いて、語り手ごとに用意した模造紙に貼ってもらいました。

谷口慧太さんの「大人の川遊び学校」
最初の語り手は、信飛トレイル事業マネージャーの谷口慧太さんです。今年、地域おこし協力隊として高山に移り住み、松本と高山を結ぶロングトレイルに携わっています。
アウトドアの仕事に長く関わり、子どもの自然体験や川遊びのボランティアも続けてきた方です。

発表は、川べりでよく見る光景から始まります。子どもはライフジャケットを着ているのに、隣の大人は着ていない。家族全員分をそろえると1万円を超えることもあり、つけ外しは面倒で、何より自分は泳げるという思い込みがあります。谷口さんは、これは過信だと考えています。
水の事故は子どもに限らず、どの年代にも起きているからです。
それなら川から遠ざければいいかというと、谷口さんの考えは逆です。
魚をのぞいたり、ただ浮かんだり、水をかけ合ったりするだけで楽しい川は、お金のあるなしに関係なく誰でも遊べる最高の遊び場だ、と谷口さんは言います。
そこで構想しているのが、子育て中の親に向けた「大人の川遊び学校」です。流されたときの身の守り方や、子どもより下流に立つといった安全の講習に、ガサガサや魚のつかみ取り、安全な飛び込み方を教える遊びの講習を組み合わせます。大人が川を知らなければ、子どもに危険も楽しさも伝えられないというのが出発点です。

課題もはっきりしています。移り住んで間もないため遊び場をまだよく知らないこと、地元の川をよく知る人とのつながりをまだつくれていないこと、大人が学んでいるあいだの子どもの預け先がないこと。そして谷口さんが一番知りたがっていたのは、子どもを預けてまで川遊びを学びたい大人が本当にいるのか、という点。
その問いには、聞き手の側から答えが返ってきました。
お子さんのいる方は、自分は子どもの頃に川で遊んでいたのに、親になるとリスクを過大視してしまい子どもには行かせなくなったと振り返り、その世代にこそ届くのではないかと話します。
保育の現場で仕事をしてきた方は、親自身が楽しさを知らないと子どもの興味を止めてしまうという実感を語っています。
需要があるかという問いへの答えとしては、十分だったのではないでしょうか。

声はそのまま、具体的な提案にも広がりました。下呂には遊べる場所がたくさんあるから一緒に行きましょうという誘いがあり、林業の仕事をしている方からは、間伐材でいかだを組んで川に浮かべたいという案まで出ています。
川端修平さんの「言葉が開く」場づくり
ふたり目の語り手、川端修平さんの肩書きは「場づくり」です。
今回のイベントにあたって肩書きを決めてほしいと頼まれ、自分のしていることを何と呼べばいいのか考えた末に、この言葉に落ち着いたそうです。

大学では生きることと働くことをテーマに卒業論文を書き、その後は整体の稽古や子どもの居場所づくりなど、体のことや、人と人との関わりに向き合う仕事を重ねてきました。
いま続けているのが、住職書房で毎月行っている「よもやま本茶会」です。毎回テーマを決め、参加者はテーマにちなんだ本を1冊持ってきます。本の中身を語ってもいいし、なぜその本を選んだのかを話してもかまいません。
川端さんがこの会で大事にしているのは、「言葉が開く」ということです。自分が感じていることをそのまま口にしてよいと思える場は、意外と少ない。ところが本をきっかけにすると、自分でも思いがけないことを話し始めることがあり、会のあとに歩くまちが少し違って見えることもあるそうです。
本茶会とは別に、10月に国府のやわい屋さんで、スピーカーの音響に浸る会を企画しています。
そんな川端さんの目下の関心は、こうした会を続けることに加えて、軸となる何かをつくっていくこと。
整体の稽古場には人が通い、そこに場ができていきます。一度きりで終わるのではなく、土を耕すように積み重なっていく拠点がほしい。

会場からは、共感と問いの両方が返ってきました。エンジニアの方は、仕事では何をするにもAIを介し、友人の近況もSNS越しに知るいま、自分の考えをそのまま伝える場は貴重だと話しています。
自分も同様に場をつくりたいと考えている方からは、誰でも参加できる場の居心地を誰が守るのか、あえて閉じる考えはあるのか、という質問がありました。
川端さんは、新しい人が加わることで深まる面も、閉じることで生まれる偏りもあると答え、どちらかに決めきらずに続けていると話していました。

質疑の終わりに聞き手のひとりから、こうした活動と収入をどう折り合わせているのかという質問が出ました。川端さんは、卒業論文から考え続けてきたテーマにつながる問いだと答えます。
対価として値段を上げていくことで、やってあげる側とお金を払う側という関係になるのは避けたい。自分が好きでやり、相手も好きで来ている場でなければ言葉は開かない、というのが川端さんの考えです。
ただ、お金が嫌いなわけではありません。好きな人どうしが集まる場だからこそ、言葉を話したくなったり聞きたくなったりするのと同じように、払いたくなるお金や、自然と渡されることになるお金もあるのではないか。いまはそこを探っているところだそうです。
何のための「場」なのか
谷口さんのお話には、親としても、子ども向けのNPO(あそぼろっと!)の活動を4年間続けている身としても、うなずくところがたくさんありました。
我が家でもライフジャケットを買ったときは、当たり前のように子どもふたり分しか買っていません。
子どもが夢中になっていることを親が理解できれば、子どもをもっと先へ進めてあげられる。これは、あそぼろっとの活動を続けながら私も感じてきたことです。だからこそ、親が川の魅力を学ぶ機会をつくるという谷口さんの視点に、しみじみと共感しました。
川端さんのお話は、正直に言うと、少しどきりとしながら聞いていました。ensō もまた、場を運営している側だからです。
営利事業である ensō の場合は、お金と場の関係は切り離せないものです。場の運営には、どこかビジネスと割り切りにくい雰囲気があります。言い出した人がやりたくてやっているのだとしたら、負担もボランティアで引き受けるべきだという見方もあるでしょう。一方で、言い出した私が疲弊していくばかりでは、この場所は続きません。
継続的な運営には仲間も必要ですが、仲間に私と同じ熱量で動き続けてもらうことはできません。その差を埋める報酬をどう払い続けるのか、払えないならそれは仲間からの搾取にならないか。
考えるほど、簡単には結論が出ません。
ensō でこうしたイベントを続けていきたいと思ったのは、この場所が「オフィス」であるからこそ、お仕事の打ち合わせだけではなく、自分が仕事にどう向き合っているのかを少し引いて話せる場があってもいいと感じていたからです。
私自身、仕事が好きで仕事ばかりの生活になっていた時期があり、そこから少し離れて、やってみたいことや生き方を振り返る場が必要だと思ってきました。
一方で、この場所を続けていくには、ensō を知ってもらい、使ってくれる人を増やしていく必要があります。イベントには、そんな役目もあります。
川端さんが模索している「筋の通ったやり方」は、私にとってもまだ答えの出ていない問いです。
このテーブルで、その問いも一緒に考えていけたらうれしいです。
Seed Table では、次回の語り手も募集していますので、話してみたい種がある方はぜひ声をかけてください!