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ensōの日誌 / 飛騨にコワーキングは根付くのか?開業初日の問い

2026.09.15

イベントレポート

飛騨にコワーキングは根付くのか?開業初日の問い

9月12日、ensōのグランドオープンの日。自由見学会としてみなさまをお迎えするとともに、トークセッション「飛騨にコワーキングは根付くのか?」の時間を持たせていただきました。

この問いに、私たち自身もまだ答えを持っていません。場所をつくると決めてから3年かけて今日にたどり着きましたが、本当にこのまちに根付くのかどうかは分からないままです。ですので、開業初日のテーマにそのまま掲げました。

ゲストに招いた語り手は2人です。
一級建築士の淺野翼さんは、2015年に飛騨高山で最初のコワーキングスペースとなったco-ba hida takayamaを共同で立ち上げて7年間運営された、コワーキングの当事者。今回、ensōの設計も担当していただきました。
不動産の活用や新規事業の調査企画に携わる小嶌久美子さんは、2015年から2018年にかけて世界8都市と国内各地のコワーキングスペースを訪ね歩いて調査された方です。お住まいの京都から、遥々お越しいただきました。

進行は、ensōのコミュニティマネージャーであるぬまっちが務めました。

11年前に何が起きて、何が起きなかったのか

淺野さんがco-baを始めたのは32歳のときだったそうです。建築設計の仕事も駆け出しで、地域のなかのつながりもまだ少なく、自分の興味のあるアクションと人とのつながりに、とにかくエネルギーを注ぎ込んだ時代だったと振り返っていました。

心残りとして挙げていたのは、場をつないでいく後進を育てられなかったことです。
共同経営者以外にもスタッフを採用し、給料を払いながら引き渡していく形を試みてはいたけれど、なかなかうまくいかなかった。
コワーキングというビジネスはそもそもが収益を立てづらく、そこから人件費を出し続けることの難しさを感じられていたそう。

日本茶カフェを併設するなど、収益化に向けての試行錯誤はしたが芽吹くまでが難しかった。
そんなふうに、リアルな奮闘を振り返っていただきました。

小嶌さんが最初に高山へ来たのは2017年です。
全国各地に展開するコワーキングコミュニティco-baの運営をする株式会社ツクルバから、全国のco-baがどんなネットワークを持っているのかを調査・取材する依頼を受けたことがきっかけでした。
以来8回この土地を訪れていて、そのあいだに、最初の仕事とは直接関係のないつながりがいくつも生まれたそうです。

続く場と、閉じる場は何が違うのか

ふたつ目のこの問いに対する、小嶌さんの答えは明快でした。
長く続きやすいのは、万人受けを狙わない場だそうです。利用者に何らかの性格づけがある場所は続きやすい。
反対に誰にでも開いていると輪郭がぼやけて、作業のしやすいカフェと変わらないと受け取られてしまう。

同時に、続かない場所が悪いわけではないとも話していました。
時代は変わるのだから、場が永遠に続く必要はない。その時代の役割を果たして閉じることにも意義がある。
長く続くことが正義なのではなく、役割を終えるところまで運営側がどこまで納得してやれているか。

まちが新陳代謝していくものだとすると、ensōもいつか役目を終えたと判断する日が来るかもしれません。
その日には、今日の小嶌さんのトークをきっと思い返すはずです。

これから飛騨で必要とされる場は何か

小嶌さんは、自分が40代になったからこそ、20代30代に向けて可能性を広げるきっかけやバトンをつくりたいと思うようになったと話していました。
世代の違う人どうしは、放っておくと交わりません。上の世代にフラットに相談できる接点があれば、動きたいけれど糸口が見つからない人が動き出せるかもしれない、と。

もうひとつ挙げていただいたのが、外から来る人との接点です。
京都に住んでいると、出張や旅行のついでに人が訪ねてくる。東京では日常に埋もれてしまうような相手とも、一対一でゆっくり話せる。同じことが、世界的な観光地でありながら人口規模の小さい高山でも起こりうるという見立てでした。
飛騨高山には新しいものを拒まない空気があって、サンフランシスコに似たところがある、とも。

淺野さんは、この地域は流動性が高く、風通しが良いと言います。
11年前から感じていたのは、いろいろな感性や技術を持った人が意外なほどにたくさんいる、ということでした。
ただ、その人たちが出会う場所がなかった。だから自分で場をつくったのだと振り返っていました。一方で、観光でにぎわうことと、腰を据えて働ける場所であることの相性は簡単ではないという指摘もありました。

会場から出た問い

ゲストの方から、コワーキングとシェアオフィスは何が違うのか、という質問がありました。
個室で区切られた場所では自然発生的な会話が起きにくく、開いた共有スペースがあるかどうかで場の性格が変わる、という整理がされました。

建築を学んでいる学生さんからは、設計についての少し専門的な質問も。
ensōの入り口から奥に向かった場所にある通称「集中エリア」の床は、大テーブルのあるメインスペースからは一段下がっており、その理由について尋ねてくださいました。
実はこのエリアは、もともとガレージだった場所。上げることもできたけれど、元の構成を活かしたほうが空間に変化が出るという判断だったと、淺野さんから説明がありました。

階段の吊られた手すりは、狭くて人の行き来がある場所に、床から立ち上がる障壁をつくりたくなかったからだそうです。V字にして強度を取り、降りるときに危なくない角度にしていると話していました。

答えは、これから決まっていきます

私からは、この場でやりたいことをひとつ話しました。
会員になってくださった方と1時間の面談をして、何を仕事にしていて、どんなスキルがあって、これから何を目指したいのかを記録していくことです。
飛騨のなかの企業が外に出してきた仕事を、ここに集まる人たちで受けられるのではないかと、ずっと思ってきました。ただ、同じ場所でなんとなく一緒に仕事をしているだけでは、それは生まれないとも思っています。

じつは淺野さんも、co-baの時代に会員の自己紹介シートを置いて、誰でも見られるようにしていたそうです。ひとつの会社にまとめるのではなく、仕事を振り合えるコミュニティがあって、そのなかで地域の経済が循環すればいい。その出発点をつくりたかったのだと話していました。
11年前に同じことを考えていた人が目の前にいるというのは、聞いていて不思議な感覚でした。

問いへの答えは、この日の1時間では出ませんでした。この場所をどう使っていただけるかで決まっていくのだと思います。
この日うかがった話を手がかりにしながら、まずは日々の運営を続けていきます。

(撮影:宮本 奏詩/Floria)