10月14日の夜、ensō で「異業種から木工の道に進んだ人たちの座談会」を開催しました。
飛騨は家具の産地として知られていますが、実際に手を動かしているつくり手の話を聞く機会は、地元に住んでいても意外と多くありません。
今回の語り手は、管理栄養士、会計の仕事、システムエンジニアというそれぞれの専門性を持つお仕事を経て、木工に進んだ3人。これまでのこと、いまの仕事、これからのことを順に話してもらいました。

進行役のコミュニティマネージャー、ぬまっちは、聞き手の皆さんにも自己紹介に加えて「好きな木」を尋ねました。
ナラを挙げた人が重なり(人気!)、ほかにもホワイトオーク、ホワイトアッシュ、ウォールナット、チェリー、クリと続きました。
趣味でベースを弾く方の答えはホワイトアッシュで、初めて買ったベースの材だったからという理由。
他にも、ナラは「美味しそうなイメージ」という、独特の感覚を語るグラフィックデザイナーさん。林業のお仕事をしていた方は「スギ。切りやすいから」という、大きな木を切ったことがない人間にとっては新鮮な意見も。
木の名前を尋ねただけのアイスブレイクでしたが、話は自然とその人ならではのお仕事や考え方に広がっていきます。
洞口さんと循環する素材
最初の語り手は、Chairmaker Takayama Japan の洞口由紀さんです。高山市の地域おこし協力隊として活動していて、この春までは広島にある家具メーカーで、家具の設計の仕事をしていました。

最初の仕事は、病院の管理栄養士。進路を決めた頃は身近な選択肢が少なく、その中から選んだ道だったそうです。働いて自分で稼ぐようになると、選べる道は思っていたより広いと感じるようになります。
洞口さんと木工との出会いを作ったのは、当時住んでいた神戸市三宮にあった東急ハンズでした。
地下の売り場に木材がそろっていて、試しに買って小さなものを作ってみたら、やけに楽しかった。休みの日にはクラフトマーケットで販売したりと、見よう見まねで続けるうちに、もっと大きなものをつくりたくなっていきます。
木を選んだ理由として洞口さんが挙げたのは、あるブランドのデザイナーの言葉でした。
ほかの素材のものづくりは、何かを壊したり、切り出したり、取ってきたりするところから始まる。けれど木は自然の中で循環しているので、その循環に沿っていけば、ずっとものづくりを続けられる。
洞口さんはこの考え方に「妙に納得して」、自分が進むべきものづくりは木工かな、と思い始めます。
お仕事の合間に、プライベートの時間で創作を続ける日々は3年ほど続き、いよいよ本格的に木工を学ぶため、高山へ。
「決意や、決心みたいなのは何もなかった」というほど、木工の世界に入ったのは自然な流れでした。
むしろ栄養士を辞めることのほうが、よほど決心が要ったそうです。
独学で木を触っていたころの作品の写真も見せていただきました。アクセサリーが中心で、当然ながら旋盤のような道具はまだ使えず、ほとんど彫刻刀だけでつくったといいます。

当時は知識がなく、紙やすりは金属加工に使うような数1000番の細かいものを選び、とにかく時間をかけて磨いていました。木工では200番前後で十分だと知ったのは、ずっと後のことです。
学校では、木目の良し悪しを徹底して教わりました。ところが大手の家具メーカーで設計の部署に入ると、現場はもっとおおらかで、節や杢(もく)もそこまで特別なものとして扱われていませんでした。
このとき「良くも悪くも、世界は広い」と感じたそうです。
独学、学校、メーカーの設計と、木工との関わり方の段階が変わるたびに、それまで正しいと思っていたことが塗り替えられてきた。異業種を経験しているからこそ、さまざまな木工の「正解」を俯瞰して受け入れられているのは、洞口さんならではなのかも知れません。
今さんと「あったらいいな」から始まるものづくり
ふたり目の語り手は、子どもの頃はものづくりが好きだと意識したことがまったくなかったという今輝宮さん。いまは高山市内の家具メーカーの生産部門に勤めて、オーダーメイドの家具製造に従事しています。

大学は経済学部に進み、在学中から公認会計士を目指して勉強を続け、税理士事務所で働きながら、かなりの難関とされる論文試験に向き合っていました。
時代はコロナ禍、家で過ごす時間が長くなります。それまで寝て食べるだけだった家を、もう少し快適にしたい。そう思って、あったらいいと思うものを自分でつくってみたのが、ものづくりの始まりです。
それから毎年、試験の合間の数か月をものづくりに充てていたそうです。
試験がうまくいかず、この先どうしようかと迷ったとき、今さんはその時間を振り返り、自分にもこんなに楽しいと思えることがあったと気づきます。
家具をつくる仕事がしたいと考えて、調べ始めたのはそこからでした。

当時は木工訓練校の存在を知らず、「家具職人になるには、師匠を見つけて弟子入りするしかないと考えていた」と、今さんは笑いながら振り返ります。インスタグラムで見つけた工房に話を聞きに行き、そこで勧められたのが高山市にある木工芸術スクールです。
知ったのは願書の締め切りの2週間前で、現地に行くこともなくすんなりと応募を決めたそうです。
「つくりたい、がスタートではなかった」と今さんは言います。こういうものがあったら便利だと思ったところから始まったのが、今さんの木工との関わりでした。
質疑では、プロとして木工に関わりはじめて3年目となる今さんの、今後の展望についても話が及び、盛り上がります。内容は、ここでは伏せておきますね。
見世さんと「設計図」がないお皿
最後の語り手は、「Atelier山音」の屋号で木のうつわを作っている、見世健太さんです。木工旋盤で木を回しながら刃物を当てて削る「挽物」を専門としており、現在は美濃市近辺を拠点に木のうつわをつくっています。

大学院で微生物を研究していた見世さん。研究で使うデータの解析のためにプログラムを書いていました。その経験を生かしてシステムエンジニアになり、自然のデータを扱うシステムの開発に長く携わります。
その間も山に登り、森林インストラクターとして活動するなど、自然との関わりは続けていました。木への関心が深まったのは、その活動の中だったそうです。
8年間の会社員生活を経て、見世さんが飛び込んだ岐阜県立森林文化アカデミーは、曲げ物、挽物、指物、家具と幅広く学んだうえで、自分の分野を絞っていく学校です。
見世さんは、学んだ分野の中で自分に向いていたのは挽物だったと話していました。卒業後は就職せず、そのまま独立。周囲にもそのような学生は少なく、担当教員にもこの判断は驚かれたと振り返ります。
見世さんの話で印象的だったのは、お皿のつくり方です。敢えて設計図は描かず、形を決めた見本を横に置き、それを見ながら手で削ります。

システムの仕事と木工の共通点があるとすれば、「お客さんが求めるものを聞き取り、設計し、実装して、試験して直す」という流れそのものだと見世さんは話します。お皿づくりとの違いは、特定のお客さんがいないこと。
使う人を想像しながらデザインし、自分で使ってみたり、近しい人たちに使ってもらいながら改善する。それがいまの見世さんの作り方です。
曲がり道を選んだ3人
自身も木工作家であるぬまっちから、今回の企画について最初に聞いたとき、とてもピンとくるものがありました。ちょうど自分の仕事観が変わりつつある時期だったからです。
2016年のベストセラー『LIFE SHIFT』(リンダ・グラットン)は、教育→仕事→引退と順に進む3つのステージの人生はもう当たり前ではなくなり、人生の途中で何度もステージを移っていく時代になると書いています。
私もこの考え方にすこし影響を受けており、ひとつの仕事は10年ほど続ければ、ひと通りやり切ったと言えるのではないか、と最近は考えています(もちろん、一部の専門職にはとても当てはまらないことは理解しつつ)。
3人の話を聞いて驚いたのは、これだけ振れ幅の大きいキャリアチェンジをしているのに、葛藤や未練のようなものがあまり感じられなかったことです。頭の中でそろばんを弾き、勝算を持って木工を選んだというより、どこか導かれるように木を選んでいた。
直線的にキャリアを積み上げていく安定した人生にも、ときに衝動的に路線を変える曲がり道の人生にも、それぞれのよさがあると思います。そのうえで、自分で決めて道を変えてきた3人は、とても楽しそうに見えました。

これから仕事を選んでいく次の世代の人たちに、キャリアってこんな感じで切り替えていいんだよ、そんなふうに伝えたくなるような会話でした。
人生折り返しに入っているであろう私自身もまた、ときには勢いで路線を変えたり、大きな曲がり道を選んだりすることを、恐れないでいたいと思います。
3人のお話から、そんな勇気をもらった夜でした。