8月17日の夜、村半の中央蔵で「第1回 飛騨フリーランス会議」を開催しました。ensōとしては、場所がまだ出来上がっていない状態で開く、初めての正式なイベントです。
場所は、高山市さんが運営する「村半」をお借りしました。

飛騨で働くフリーランスや個人事業主に集まってもらって、まずは3人に自分の仕事を紹介してもらう。その後は参加者全員が1分ずつ自己紹介をして、あとは自由に話す。やったことはそれだけです。ただ、2時間が終わってみて、想像していたより手応えがありました。
グラフィックデザイナー・伊藤悠貴さんの話
最初に話してくれたのは、グラフィックデザイナーの伊藤悠貴さんです。静岡県富士市の出身で、静岡県内の美術大学を出たあと、静岡市の広告制作プロダクションに6年ほど勤めて、今年の2月に飛騨へ移ってきました。

伊藤さんが大事にしているのは、ただきれいなものを作って終わりにしないことだと言います。見た人の心が動く仕掛けをどう仕込むか。そのうえで、細部まで美しく仕上げて届けたい。この2つを両立させることを、いつも考えているそうです。
制作の実例をいくつか見せてもらいました。撮影の工夫でコンセプトを画面に落とし込んだ広告ビジュアル、紙と画材の選び方で作り手の手触りを出したパン屋のリーフレット、モチーフを分解して組み直したバンドのポスター。どれも、なぜその表現になったのかという理由が先にあって、見た目はその結果として決まっていました。
印象に残ったのは、最近のインスピレーションの取り方についての話です。パソコンの画面ばかり見ていると、画面の中で完結したデザインになってしまう。だから意識して車に乗って、窓から見える景色を見るようにしている。飛騨に来てからの変化なのだと思います。
コンサートプロデューサー・相馬寿友美さんの話
2人目は、コンサートやイベントの制作をしている相馬寿友美さんです。高校生のときに音楽やコンサートの仕事をしたいと思って、卒業後は音響の専門学校へ進んだそうです。

相馬さんの仕事は、企画や予算を決めるところから、当日の進行や現場の統括まで幅広く及びます。ただ、受ける仕事にははっきりした基準があって、お金を稼ぐためだけのイベントは基本的に引き受けていないと話していました。いま関わっているのは伝統芸能や舞台芸術といった、文化そのものを扱う現場が中心です。
トラブルへの向き合い方の話が印象的でした。現場で何かが起きたとき、内心はかなり焦っている。それでも大きく崩れないのは、自分の手で対処できる範囲を超えるトラブルは、そもそも起きないように計画の段階で潰しているからだそうです。落ち着いて見えるのは性格ではなく準備の結果なのだと、聞いていて納得しました。
もうひとつ、危機感として語られたのが後進の話です。伝統芸能の制作現場では、相馬さんがずっと最年少のまま。下の世代が入ってこない状況を、最近いよいよまずいと感じ始めているそうです。
建築士・小林雄輝さんの話
3人目は建築士の小林雄輝さんです。建築学科を出て設計事務所に3年勤めたあと独立し、いまは大学院にも籍を置いて、半分学生のような状態で活動しています。

小林さんが掲げているのは、クライアントも一緒に建築家を名乗っていいくらい、共に設計するという考え方です。設計は本音では一人でやりたい部分もある。それでも一緒に進めるのは、実際にその建物を使う人が愛着を持てたほうが、建築は長く残るからだと話していました。図面だけでは伝わらない光の入り方や空間の質感を共有するために、模型をクライアントと一緒に作り込むこともあるそうです。
進行中の住宅では、基礎にコンクリートを使わず、去年の12月に石の上へ建てる工事をみんなで行ったという話もありました。大学院では、木材が乾くときに生じるねじれの力を計測して、それを構造に活かす研究をしているそうです。
自分の「好き」との付き合い方についての答えも面白いものでした。まず好きがある。ただ、それをそのまま押し通すのではなく、好きを裏づける根拠を組み立てて相手に伝える。そこまでやって初めて形になる、という順番でした。
3人に共通していたこと
質疑応答では、仕事の断り方、発注する側の判断基準、アイデアの出し方まで、かなり実務的な質問が出ました。同じ立場の人が聞くから出てくる質問で、この時間がいちばん盛り上がったかもしれません。
3人の話を並べて聞いていて気づいたのは、全員が「自分がどう見えるか」ではなく「相手にどう届くか」から仕事を組み立てていることでした。専門分野はばらばらなのに、考え方の芯が似ている。飛騨でフリーランスとして続けている人たちの共通点なのかもしれません。

参加者の自己紹介で見えたこと
後半の1分自己紹介では、グラフィックデザイナー、ウェブデザイナー、映像や写真の作り手、システムエンジニア、ライター、地域おこし協力隊の方まで、想像以上に幅広い職種の人が集まっていました。東京や大阪での経験を持って戻ってきた人、移住してきた人、地元で続けてきた人が入り混じっています。
飛騨には、才能があって実際に活躍している人がすでにたくさんいます。それなのに、その人たちが表に出てきて互いに見つけ合う場面は、あまり多くありません。物理的な場所がないことが理由のひとつだと、ずっと感じてきました。
まだ場所ができる前から、こうして人が集まってくれました。この続きは、ensōでやっていきます。